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Judge from appearances/石川 志野

 「人は見た目が9割」という題名の本がある。人の外見は重要な情報を伝えるという内容だったと思うが、本を選ぶときにもこのことを感じることがある。とくに洋書を選ぶとき、私は「見た目」つまり本の装丁や表紙に惹かれて手に取ることが多い。インターネットの書店でも、本の中身を読めるようになった。しかし、それでも表紙のデザインによって購買意欲が左右されることがままある。私にとっては「本は見た目が7,8割」と言ったところだろうか。

 ジュンパ・ラヒリの本に出会ったのも、アマゾンで本を探していた際に、表紙が気に入ったからである。そうして購入したThe Namesakeは中身も気に入って一晩で読んでしまい、以来ラヒリはお気に入りの作家になった。

 和書でもハードカバーと文庫本で装丁が異なるように、洋書もハードカバー、ペーパーバック、マスマーケットと価格や紙の質がそれぞれ違う版がある。ラヒリの新作のThe Lowlandも版ごとにデザインが異なる表紙があり、それぞれ違った印象を受ける。マスマーケットになると価格も10ドル以下になり気軽に手に取ることができるが、紙の質も悪くなり、小口もそろってないこともある。同じ本でも、ハードカバー版とマスマーケット版では、本から伝わる紙の感触や、紙やインクの匂い、活字からうける視覚的印象などがまったく同一ではない。版が違えば同じ作品でも、読者が受ける印象はほんの少し違うものになるのかもしれない。

 表紙デザインといえば、英語があまり読めない時から購読しているThe New Yorker「ニューヨーカー」の表紙には面白いものが多い。例えば2014年2月3日版は、フュギュアスケートをするプーティンの演技を審判が観ており、「プーティンのプーティンによるプーティンのためのソチオリンピック」を揶揄したものと考えられる。表紙以外にも、ウィットに富んだ漫画(短い1行程度のキャプションがつけられ創刊当時からの伝統)が豊富に掲載されており、それらを眺めているだけで読んだ気になることが長年購読を続けられた理由である。

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 「ニューヨーカー」の創刊は1925年で、フィッツジェラルドの『偉大なるギャツビー』の出版と同じ年である。現在の「ニューヨーカー」の内容は、ニューヨークの美術、音楽、舞台、レストラン情報や、街についてのコラム、フィクション、映画批評、詩、ルポルタージュなどが掲載されている。年に数回は「フィクション」「食べ物」「ファッション」といったテーマの特集号が発行される。トルーマン・カポーティやジョン・アップダイクはこの雑誌のスタッフとして働いていたことがあり、のちに作家となり作品が誌面を飾るようになった。日本人作家では村上春樹の作品が掲載されている。Haruki Murakamiとして「ニューヨーカー」で洒落たイラストと読む村上作品は、日本語で読むのとはかなり違った味わいがある。文芸作品だけでなく「ニューヨーカー」はレイチェル・カーソンの『沈黙の春』の連載をしたり、ハンナ・アーレントの『イスラエルのアイヒマン』は「ニューヨーカー」の取材がきっかけで生まれた。

 ラヒリも「ニューヨーカー」も、見た目に惹かれたことが切っ掛けで私の人生に登場した。見た目でものごとを判断してはいけないと言われることが多いが、見た目が好きだからこそ長くつきあえるものもある。見た目に左右されることも結構良いものだ。

執筆者:石川志野 Shino Ishikawa 

文学部3類 卒業論文はJhumpa Lahiri です。児童英語講師と塾講師として英語を教えています。

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