アメリカ文学慶友会発足に寄せて/巽 孝之
慶應義塾は伝統的に東アジア研究が強いものの、一貫したアメリカ研究の拠点が存在しない。このことをわたしは長い間、不満に思っていた。本塾三田キャンパスに限っても、 1970年代から 21世紀の今日におよぶ約 40年ほどにわたって、文学部英米文学専攻の大橋吉之輔先生、山本晶先生のご配慮により、長く日本アメリカ文学会東京支部の会場校を担当し、多くの優秀なアメリカ文学者を育成してきた経緯がある。その逸材たちは、いまも本塾全体の各セクションはもちろん、日本全国の大学および学会で大いに活躍している。すなわち、文学・歴史・法律・政治・科学技術などすべての分野において、もともと慶應義塾におけるアメリカ研究の水準は高いはずなのだが、それを顕在化させる横のつながり、いわゆるネットワークが存在しないのだ。具体的に言えば、アメリカ研究所である。都内では東京大学や立教大学、上智大学に伝統的なアメリカ研究所が存在するものの、これだけの俊才を抱えた慶應義塾には、それをまとめあげようとする素振りすらない。トマス・ジェファソン草稿執筆になるアメリカ合衆国の「独立宣言」を本邦初訳し、アメリカ外遊から多くの文化的収穫を持ち帰り、国家の近代化を促進したのが福沢諭吉であってみれば、これは早急に補填すべき欠落と思われた。
折も折、 2010年 11月 5日に、サントリー文化財団が助成を行う共同研究グループ「パクスアメリカーナと海洋研究会」が開かれるから何か報告せよという依頼が、わたしに舞い込んだ。サントリーといえば本社は大阪であるから、関西出張になるのかと思いきや、何とこの研究会は三田キャンパスの東館で行なわれるという。その趣旨は「20世紀以降のパクスアメリカーナの実態を、海洋国家アメリカという視点で見つめなおし、同じく海洋国家である日本との日米関係を考えること」。かくしてわたしは “Moby-Dick, Manifest Destiny, Monroe Doctrine”なるタイトルで「三つの MD」をめぐる講演を行った。
このときの研究会がひとつの転機になったのは、たしかなことである。
そもそも、なぜ東館が会場だったかといえば理由は簡単。本塾 SFCの阿川尚之教授、土屋大洋准教授が中心メンバーとして参加していたからだ。阿川教授といえば北米にてプロの弁護士としての経験をもとに活躍し、名著『憲法で読むアメリカ史』( 2005年)では吉野作造賞に輝く、本塾史上初のアメリカ研究を専門とする理事である。さっそくわたしは懇親会の席上、慶應義塾大学アメリカ研究所設立の構想を提案した。阿川氏は二つ返事で承諾され、以後は土屋氏の音頭により、 2011年にはさっそく 「慶應義塾大学 G-SECアメリカ研究プロジェクト」が発足、その事務局が東館に置かれることとなった。同年 10月 には、ちょうど脱アメリカ的アメリカ研究( Transnational American Studies)の旗手のひとりで、イギリスのオックスフォード大学からオーストラリアのシドニー大学へ転出したばかりのポール・ジャイルズ教授が、九州のアメリカ文学者たちによる科研費で来日予定というので、 さっそくこの G-SECアメリカ研究プロジェクトのこけら落としを、彼を基調講演者とした「グローバル時代の文学地図」(大串尚代教授司会)なるシンポジウムのかたちで行なった。
以後も、このアメリカ研究プロジェクトは継続し、多くの来日学者研究者を迎え、少なからぬ講演会やシンポジウムを主催している。つい最近も、去る 7月に、北米を代表する先住民作家ジェラルド・ヴィゼナーを迎え、講演会を催した(http://www1.gsec.keio.ac.jp/index.php)。いわゆる「受け皿」としては、すでにお膳立ては整ったと言えよう。
しかし、ネットワーク構築と国際的共同研究、ひいては塾生が単位取得できる講座の確立という将来的可能性を考えたら、まだまだ不十分かもしれない。そんなところへ、通信教育課程の塾生諸君からアメリカ文学に特化した慶友会を作りたいという申し出があったのは、うれしい限りだ。ここで築かれるであろうまったく新たなネットワークが、ゆくゆくは慶應義塾全体に広がり「慶應義塾のアメリカ研究」が目に見える日が来ることを、わたしは心から望んでやまない。
執筆者:巽 孝之 Takayuki Tatsumi
慶應義塾大学文学部教授・アメリカ文学専攻