アメリカ文学における死体偏愛症物語/西川公子
アメリカ文学に「死者を愛する伝統」というものが存在するならば、それは、F.O.マシーセンが提唱したアメリカン・ルネッサンスの時代1850-55年の少し前に登場していた。ナサニエル・ホーソーンの「白の老嬢」(1835)、ジョージ・リッパードの『クエーカー・シティまたはモンク・ホールの修道士たち—フィラデルフィアの生活、事件、犯罪をめぐるロマンス』(1844)やエドガー・アラン・ポーの「アナベル・リー」(1849)といった、死体偏愛症ともいえる作品群である。1930年には、アメリカ文学における死体偏愛症作品の金字塔ともいえるウィリアム・フォークナーの「エミリーに薔薇を」(1930)が登場する。本作品は、The Southとしての古き良き南部の伝統と没落への郷愁、そして死体と共に暮らした老嬢の死といった死体偏愛症的スキャンダラスなテーマとが、複雑なタペストリーのように織り込まれた南部ゴシック・ロマンスの代表作だ。
そもそも死体を愛する死体偏愛症(necrophilia)とは、いかなるものか? 古くは紀元前5世紀、ヘロドトスの『歴史』におけるミイラ職人の記述が、死体偏愛症に関する初出といわれる。
身分の高い者の妻たちが亡くなった場合、死後すぐには防腐処理を施してミイラ化されることはなかった、というのも(死体になっても)彼女らが非常に美しかったため、死後3〜4日以上経ってからミイラ職人の元へ送られるのが常だった。死後すぐにミイラ職人の元へ送ると、その死体の美しさ故、職人に死体を穢されることがあるという話から、このような習慣になったのだ。
(The Histories, Book II, 89.)
ヘロドトスの記述には、死体偏愛症の根本的な構造が明かされている。現実には絶対に手に入らない身分の高い美しい女性も、死体となればミイラ職人といった身分の低い者にも容易く手の届く存在となる。それが死体偏愛症に結びついた(それを禁じるために、死後4日後の内臓が腐った状態で託されるようになってからは、ミイラ職人にはそれさえも禁じられたが)。
死体偏愛症の愛とは、現実には手に入らない存在を自分の思いのままにすることであり、永遠にその愛を死体という存在に封じ込めることである。死体を愛するロマンスは、古今東西の文学作品に登場するが、アメリカ文学における死体愛好の特長とはいかなるものなのかについて、先述した作品を概観したい。
ホーソーンの「白の老嬢」は、物語の冒頭で、恋人の死体を前にした二人の美しい女性が、不可思議な死体譲渡契約を結ぶシーンから始まる。恋人の死も二人の関係も明らかにはされないが、二人のうち誇り高い女性(The proud girl)は「生きている間はあなたのものだったけれども、死体は私のものよ!(314)」と、エディスと呼ぶ女性に宣言する。エディスは、この高飛車な宣言にとまどいながらも、結局は恋人の死体譲渡契約を結ぶ。死んだ恋人の髪の一房を、この奇妙な契約の証しとして。死んでもなお恋人の愛を争う二人の女性のパッションは、死体への偏愛となって表されている。二人は老いてもなお、死体となった恋人を思い続ける。しかしミイラ職人のそれとは異なり、死してもなお、いつまで恋人を思い続けることができるかという二人の愛の試練、もしくは修行として捉えることができる。事実、経帷子の老嬢は、十数年もの間、町の人の葬儀の度に現れては葬儀に参列するようになる。これは、死者を愛するため、死に最も近い場所—葬儀の場にいたのだとはいえないだろうか。ホーソーンが描いたこの死体への偏愛嗜好が、のちにフォークナーの「エミリーに薔薇を」の基本構造となっている。ただ、ホーソーンの場合の死体偏愛症は、ミイラ職人のようなフィジカルなものではなく、プラトニックな愛の捧げ方であった。これは男女の死体偏愛症の差違なのだろうか。
フィジカルな死体偏愛症は、ジョージ・リッパードの『クエーカー・シティまたはモンク・ホールの修道士たち—フィラデルフィアの生活、事件、犯罪をめぐるロマンス』に、特徴的に見られる。リッパードの『クエーカー・シティ』は、ソドムの市のように堕落した快楽の館モンク・ホールで起こる女性誘惑物語(セダクション・ナラティブ)である。巽孝之が「実際に起こったひとつの殺人事件のもとに、きわめて覗き見趣味的な文学をものし、それによって、関係者にとっては『文学という名の犯罪』とも呼ぶべきテクストを織り紡いでしまった」(『アメリカン・ソドム』 276-7)というように、『クエーカー・シティ』はまるで「バーナム博物館」のように人々の好奇心をそそる見世物やトピックスがぎっしりと詰め込まれた豪華絢爛たる覗き小屋のようだ。
なかでも第四部 第五章の「解剖の広間(The Dissecting Hall)」では、医学生たちがテーブルに「女性や子ども、男性の死体を並べて」(437)作業している様子が綴られる。太陽の光の下、汗ばんだ医学生達、腕や足といった死体の部位。そしてそれら死体の部位を見物していく視線は、死体偏愛症のオブセッションを露わにしていく。老人の腕を取り上げて「この老いぼれの手と何人の人々が握手をしたことだろう」(438)と呟く医学生、「かつては可愛い女性だったんだろうな! 何人もの愚かな奴らが、彼女の瞳と唇に死ぬほど焦がれたようなさ」と嘲りながら、その女性の乳房にメスを入れていく医学生。
「賭けてもいいが、この女性はとんでもなくきれいな靴を履いていたのでしょうな」と、禿頭に金眼鏡をかけた、萎んだような小男が、興奮して叫んだ。
「いったいこれほどの足を見たことがあるかね? この爪先、この甲、そして、このとびきりの踵! ああ、彼女のストッキングになってみたいね!」(438)
フェティシズムの小男をはじめとして解剖現場にいる医学生たちは、死体を切り刻むと同時に、死者を陵辱する者であり、その行為の見世物的鑑賞者でもある。この医学生たちの視点は、ホロドトスのミイラ職人のそれと似ている。「腐敗の虹が、まるで蛇が這い回るように死体の乳房のあたりを滑っていく」(437)。ここでいう「腐敗の虹」は、死者を愛撫する医学生たちの視線でもある。巽が「腐乱する死体のなかに虹を見出す、リッパード独自の崇高美学」(306)と称賛するように、白日の下に曝された「解剖の広間」での死体の描写は、猥雑かつ魅惑的である。リッパードがここで提示した死体偏愛症は、非常に肉感的であり、恐ろしいほどに見世物的に人々を魅了する。
一方同時期に、リッパードの友人でもあったポーが描いた死体偏愛症の詩「アナベル・リー」は、リッパードの肉感的なそれとは異なり、美しい修辞を繰り返し、幼く美しいアナベル・リーとの愛を綴っていくことで、最後のスタンザで死者たる愛人と一緒に横たわる男の奇妙な愛を暴露する。
そして月が輝かない夜にはかならず
かの美しいアナベル・リーの夢を誘う
そして星が輝かない夜にはかならず
かの美しいアナベル・リーの瞳を想う
夜を通してずっと、私はこの愛しい人の傍らに横たわる—愛しい人—私のすべて、
私の花嫁の傍らに
海辺にある彼女の墓
鳴り響く海辺にある彼女の墓碑の傍らに
(“Annabel Lee”)
ポーは、リッパードとは異なり、ホーソーンの美しい死体偏愛を発展させて、死体偏愛症ロマンスとでも呼ぶべきゴシック・ロマンスに昇華した。つまり死体偏愛症を、崇高な愛のかたち、永遠の愛の完成系へと美しく変換させたのである。死体偏愛症は、一方が死者となったことにより、愛の裏切りの可能性もなくなり、適切なバランスを保って、永遠の愛をつくりあげる。これほど完璧な愛のかたちが存在するだろうか。
この死体偏愛症がつくりあげた永遠の愛のかたちは、フォークナーの「エミリーに薔薇を」によって、サザン・ゴシック・ロマンスとして完成する。死体偏愛症という奇妙な愛のかたちに、古き良き南部の世界観ほどふさわしい場はない。「エミリーに薔薇を」は、南部の名家の女性エミリーの死体偏愛物語である。ここで物語の語り手は、彼女本人ではなく、第三者の視点である。それによって、死体偏愛の主体と、それを好奇の視線で見る観客という構造が出来上がっていることに気付く。
エミリー・グリワソンが死んだとき、我々の町まるごとの人々が彼女の葬儀に参列した。男性は、南部の記念碑とでも呼ぶべき彼女の家への尊敬の念を込めて、女性は、少なくとも10年以上は年取った従者も庭師も料理人さえ見ることのなかった彼女の屋敷の中の様子を見たいという好奇心から、葬儀に向かったのだ。
(“A Rose for Emily” 9)
エミリーの死から始まるこの物語では、彼女の葬儀に参列する町の人々が、まるで「バーナム博物館」へ向かう好奇の観客の様相を呈している。町中の好奇の的であった屋敷で一人暮らしをしていたエミリー。その彼女が若かった頃には、「エミリーと釣り合う若い男性もおらず」(12)、誰と結婚できるわけでもなく、父の庇護の下で暮らしていた。その父が死んだときにも、彼女は最初の死体偏愛症と呼ぶべき行為に走る。
彼女は、父親は死んでいないと語った。彼女はその嘘を三日間やり通し、役所員たちは彼女を呼びだし、医者たちは彼女に父親の死体を渡すように説得した。結局は法律の行使によって、彼女の抵抗も終わり、彼らはようやく父親の死体を葬ることができたのだった。(12)
町の人々に父親は死んでいないと言い張ることで、父親の死体を守ろうとしたエミリーの偏愛は、父親への一種の愛のかたちだ。愛する者、自分に属する者は死んでもなお自分の傍に置きたいという彼女の欲望は、次に、北部からやってきたホーマー・バロンと出会ったことでさらに拡大する。エミリーがヒ素を買ったのちに、行方不明になったホーマー。物語の最後で、彼の死体はエミリーの寝室から発見される。
彼の腐った体のうち、何がそこに遺されていただろうか、彼の寝間着は横たわっていたベッドにへばりつき、かつて彼であっただろう体の上や、かつて彼の頭があっただろう枕の上には、うず高く埃が蓄積していたのだ。(16)
発見された彼の死体は、長い年月を経て、すでに朽ち果てており、まるでミイラのようであったにちがいない。ベッドにはりついた寝間着の描写には、彼の死体が朽ち果てていた過程までもが、暗喩的に示唆されている。絶世の美女の死体が朽ち果てていく様子を描いた鎌倉時代の「小野小町九相図」(京都市 安楽寺所蔵)にも通じる描写である。 エミリーは、リッパードの解剖現場にいる医学生たちのように死体の変貌を官能的に観察していた傍観者であり、美しい修辞を繰り返しながら死んだアナベル・リーと横たわる恋人でもある。
この死体偏愛症の終結には、不思議な隠喩が登場する。
私達は、もうひとつの枕に頭を埋めたあとがあることに気付いた。誰かがそこから何かをつまみあげてみせると、それは、ぼんやりと見えない乾いた埃と、鼻を突く匂いに包まれた、深い灰色をした一本の長い髪だった。
ホーソーンの「白の老嬢」での死体譲渡契約を連想させる髪の束、それはホーマーの死体に毎日添い寝していたエミリーの髪であった。ホーソーンとフォークナーの死体偏愛に登場する髪のイメージには、死者との強い結びつきが含まれている。ビクトリア時代からヨーロッパでは、死者の髪を編んだヘア・アクセサリーを身に付けることが流行していた。髪には、死者との絆を深める意味合いがあった。死体偏愛症の物語での、死者との結びつきは、生者の髪によって成立する。死者を、永遠に生者の傍らに結びつけるための髪。髪には、メドゥーサの頭の蛇のようにしつこく絡まるイメージもある。こうして、死んだ恋人は、蜘蛛の巣にかかった生け贄のように、永遠に愛の触手としての髪によって絡め取られる。
フォークナーの「エミリーに薔薇を」は、リッパードの死体偏愛の肉感的な気配や第三者による見世物的な構造も含みながら、ホーソーンやポーから延々と続く崇高な雰囲気を帯びた死体偏愛の伝統を完成させた作品だといえる。アメリカ文学における死体偏愛症物語は、このように永遠の愛のかたちを描き出すことに成功した。死体偏愛症物語における愛は、死しても、なお存え続く。
愛は、決して死なない。
執筆者:西川公子 Hiroko Nishikawa
WEBディレクター・編集・執筆。2011年文学部3類卒業。卒業論文「アメリカ文学における老女の肖像—老年文学の変容」。アメリカ老年文学・老年映画の研究を行う。
【参考文献】
Faulkner, William. A Rose for Emily. M. Thomas Inge, Ed. Columbus: Charles E. Merrill, 1970.
Hawthorne, Nathaniel. “The White Old Maid.” Tales and Sketches / Nathaniel Hawthorne. New York: Library of America, 1982.
Herodotus, The History of Herodotus—by Herodotus Book II. The Second Book Of The Histories, Called Euterpe, Project Gutenberg, Trans. G. C. Macaulay, 07 Jul. 2001. Project Gutenberg, 28 Nov. 2010. <http://www.gutenberg.org/files/2707/2707-h/book2.htm>
Lippard, George. The Quaker City; or, The Monks of Monk Hall—A Romance of Philadelphia Life, Mystery, And Crim. Amherst: U of Massachusetts P, 1995.
Poe, Edgar Allan. Edgar Allan Poe Society of Baltimore - Works - Poems - Annabel Lee (Text-A), Edgar Allan Poe Society of Baltimore, 21 Dec. 2009. Edgar Allan Poe Society of Baltimore, 25 Nov. 2010. <http://www.eapoe.org/works/poems/
巽孝之『アメリカ文学史』東京:慶應義塾大学出版会、2003年。
---『アメリカン・ソドム』東京:研究社出版、2001年。
作者不群『小野小町九相図』(京都市 安楽寺所蔵)